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千葉地方裁判所 平成8年(ワ)97号 判決

原告(反訴被告)

矢島二三雄

外三名

右四名訴訟代理人弁護士

大槻厚志

被告(反訴原告)

小泉硬義

右訴訟代理人弁護士

畑中耕造

主文

一  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)矢島二三雄に対して金二〇〇万〇二七八円、同倉持かねに対して金三四万〇七四六円、同北澤ひて子に対して金八九万九一五〇円、同倉持弘子に対して金三四万〇七四六円及び右各金員に対する平成八年二月九日から各支払済みに至るまで年五分の割合による各金員をそれぞれ支払え。

二  原告(反訴被告)らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  被告(反訴原告)の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用については、本訴反訴を通じ、これを五分し、その三を被告(反訴原告)の負担とし、その余を原告(反訴被告)らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  本訴について

1  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)矢島二三雄に対して二五四万一一〇〇円、同倉持かねに対して八四万七七〇〇円、同北澤ひて子に対して一四一万七五〇〇円、同倉持弘子に対して八四万七七〇〇円及び右各金員に対する本訴状送達の日(記録上平成八年二月八日であることが明らか)の翌日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告(反訴原告)は原告(反訴被告)らに対し、それぞれ二〇万六〇〇〇円及び右各金員に対する平成七年一一月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴について

原告(反訴被告)らは、各自、被告(反訴原告)に対し、一五万四五〇〇円及び右各金員に対する平成七年七月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本訴請求事件は、訴外亡矢島つき(以下「亡つき」という)の相続人である原告(反訴被告)ら(以下単に「原告ら」という)が相続税の申告に関する事務処理を税理士である被告(反訴原告、以下単に「被告」という)に依頼し、被告の指導・助言に従って申告をしたところ、相続財産の一部を構成する土地(別紙物件目録記載の土地、以下「本件土地」という)の評価が過少であったこと及び相続財産の一部に申告漏れがあったことを税務署から指摘され、それぞれの点について修正申告を余儀なくされ、本税に加えて附帯税である過少申告加算税及び延滞税を納めざるを得なかったことから、原告らが、被告に対し、債務不履行に基づく損害(附帯税額相当額、慰謝料及び弁護士費用)賠償請求と右事務処理依頼に関する契約の解除に基づく原状回復請求として既払報酬の一部返還を求めた事案であり、反訴請求事件は、被告が、原告らに対し、右修正申告に関する事務処理遂行に対する報酬の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実等(証拠により認定した事実については、適宜証拠を掲記する)

1  (当事者)

(一) 原告矢島二三雄、同倉持かね、同北澤ひて子及び同倉持弘子(以下、順に、「原告矢島」、「原告かね」、「原告北澤」及び「原告弘子」という)は、いずれも亡つき(平成四年七月七日死亡)の相続人であり、亡つきの遺産を相続(以下「本件相続」という)したことによって負担することになった相続税の申告に関して被告に対し税務代理及び税務書類作成の依頼をした者である。

(二) 被告は、税理士及び公認会計士の資格を持って千葉県市川市において公認会計事務所を開設し、業として税理士及び公認会計士の活動を行っており、平成二年三月ころより原告矢島の経営する会社の決算及び法人税の申告業務に関する事務処理の依頼を受けてこれを処理していたが、本件相続にかかる相続税申告について税理士として原告らから依頼を受けた者である。

2  (事実経過について)

(一) 平成四年九月上旬ころ、原告矢島は、被告との間で、本件相続に伴って原告らが負担することになった相続税の申告に関する事務処理一切を依頼する旨の契約(以下「本件契約」という)を締結した。

その際、被告は、原告矢島に対して、遺産目録の作成、葬式費用の集計、預貯金残高証明書、戸籍謄本の取り寄せ等申告に必要な書類や資料の準備を指示するとともに、本件土地の時価を証明する資料があれば集めるようにとの指示をし、相続税の申告における本件土地の評価額は爾後に決めることとした。

(二) その後、原告矢島と被告との間における本件土地の評価額についての打ち合わせを経て、被告は、平成四年一二月二六日、本件土地の評価額を平方メートル当たり金三九万円として本件相続税の申告書を作成したうえ、これに、被告が本件土地を三九万円で評価した旨の上申書を添付して、原告矢島に渡した。

そして、原告矢島は、同年一二月二八日、右申告書を市川税務署(以下「税務署」という)に提出して本件相続に関する相続税の申告(以下「本件申告」という)を行った。

なお、本件土地の平成四年度の正面路線価格は平方メートル当たり五九万円、平成五年度のそれは四一万円と評価されていた。

(三) 平成六年八月、税務署から本件申告について税務調査をする旨の通知が被告に対してなされたので、被告はそのことを原告矢島に報告し、同年九月一二日、税務署による税務調査が実施された。

その後、税務署から本件相続について、亡つき名義の定期預金が原告かねの名義に書き換えられたことと亡つき死亡によって火災保険返戻金が生じたことについてそれぞれ申告漏れのあることが指摘されるとともに、本件申告における本件土地の評価額が税務署により否認された。(甲二、甲七)

(四) これを受けて、原告矢島と被告は、その後の対応について話し合い、その結果、本件土地の評価額については不動産鑑定士による不動産鑑定評価をした上でその結果を見て修正申告をすることになり、平成六年一二月四日、被告は、税務署に対し、鑑定がなされた場合にはその鑑定評価額の七割相当額で修正申告したいと申入れたが、税務署はそのような修正申告は認めないとの回答をした。

また、右定期預金(以下「本件定期預金」という)及び右火災保険返戻金(以下「本件返戻金」という)については、修正申告することになり、被告は、同年一二月二二日、これらを相続財産に加算する内容の修正申告書及び相続税納付書を作成して原告矢島に交付し、原告矢島はこれを税務署に提出して本件定期預金ならびに本件返戻金に関する修正申告(以下「第一次修正申告」という)をした。(甲二、甲七)

(五) 平成七年六月一五日、被告は、税務署から、鑑定評価額での修正申告を認めるとの連絡を受けたので、同年七月一〇日、右鑑定評価額(甲六によれば平方メートル当たり四四万五〇〇〇円から四六万六〇〇〇円の鑑定評価額となっている)に基づいて修正申告書を作成して原告矢島に渡し、原告らは、同年七月一四日、右修正申告書を税務署に提出して、本件土地の評価額に関する修正申告(以下「第二次修正申告」という)を行った。

(六) 第一次及び第二次修正申告により、本件相続税の附帯税(過少申告加算税及び延滞税)として原告矢島は金二〇四万一一〇〇円(過少申告加算税一二四万四〇〇〇円、延滞税七九万七一〇〇円)、原告かねは金三四万七七〇〇円(過少申告加算税二〇万一〇〇〇円、延滞税一四万六七〇〇円)、原告北澤は金九一万七五〇〇円(過少申告加算税五三万五〇〇〇円、延滞税三八万二五〇〇円)、原告弘子は金三四万七七〇〇円(過少申告加算税二〇万一〇〇〇円、延滞税一四万六七〇〇円)を追加納付することになり、平成七年一〇月三一日までに、原告らはそれぞれ右附帯税を納付した。(甲八各号、甲二三各号、甲二四各号)

(七) なお、原告らは、平成五年一月一四日、被告から本件契約に基づく報酬の支払を請求されたので、同年一月一九日、本件相続税に関する税務代理及び税務書類作成に対する報酬として、右請求額と同額の一三三万九〇〇〇円(消費税込み)を支払った。(甲四各号)

また、原告らは、平成七年七月一〇日、第一次及び第二次修正申告についての税務代理及び税務書類作成並びに税務調査立会に対する報酬として、被告から、各自一五万四五〇〇円ずつ(合計六一万八〇〇〇円)の請求を受けた。

(八) 原告らは、平成七年一一月二四日に被告に送達された内容証明郵便により、本件契約の一部を解除する旨の意思表示をした。

二  争点

1  本件契約の内容とその債務不履行の有無

2  本件契約の一部解除の可否、解除可能な場合の原状回復請求の可否、原状回復可能な場合におけるその内容

3  本件修正申告等に関する事務処理遂行に対する報酬請求権の有無

第三  争点に対する判断

一  前記(第二の一)争いのない事実等、証拠(甲一七、乙五、原告矢島本人、被告本人及び各項目中に記載の証拠)及び弁論の全趣旨によれば次の事実を認めることができる。

1  (本件契約締結に至る経緯)

(一) 平成四年七月ころ、原告矢島が、その経営する会社の決算について被告と打ち合わせをしていた際に、本件相続にかかる相続税の話をしたところ、被告が、右相続税の申告を任せてほしいと要請してきた。

原告矢島は、亡つきが死亡した平成四年七月当時、本件土地の時価(取引価格。以下同じ)が路線価の七割程度となっているという話を知人の不動産業者から聞いていたので、本件申告においては、路線価によって本件土地の評価ができることは当然可能だとしても、時価が路線価を下回っているという実態にあった納税者救済のための申告方法があるのではないかと思い、被告に対し、路線価を下回っている時価によって評価ができるかどうかを相談した。

被告は、従来課税実務において評価額の基礎にされてきた路線価が公示地価の七割程度とされており右公示地価は時価に近いものと認識していたことから、時価が路線価を下回る場合にも、評価額を時価の七割程度とすることは相当な根拠があるものと考え、原告矢島の右相談に対し、不動産の時価が路線価を下回っている場合には、時価の七割の価額で評価すべきであると話した。

原告矢島は、税理士であり公認会計士でもある被告が言うのであるから、本件土地の時価の七割の価額で本件土地を評価することができるものと考えた。

(二) そして、原告矢島は、原告かね、原告北澤及び原告弘子の同意を取り付けて、平成四年九月上旬ころ、被告との間で、本件相続にかかる原告らの相続税申告に関する事務処理一切を被告に依頼する旨の本件契約を締結した。

(なお、本件契約締結の際、原告矢島は、平成三年一二月に亡つきから贈与を受けた土地にかかる贈与税について亡つきの生前から税務署より修正申告を求められていたが、その修正申告をしないうちに本件相続が開始したため、右修正申告の件も本件相続税の件とあわせて被告に依頼した。)

2  (本件契約締結後本件申告までの事実経緯)(甲二、甲三各号、甲一八、甲一九、甲二一、甲二二)

(一) 平成四年九月下旬ころ、原告矢島は、被告の指示に基づいて本件相続税の申告に必要な書類や資料を被告事務所に持参した。このとき被告は、本件土地の評価額を時価の七割程度で申告するためには、本件土地の時価を申告者が立証しなければならないと考えていたので、本件土地の時価を裏付けるために、本件土地に近隣する土地の取引事例を集めるように原告矢島に指示した。

(二) 平成四年一一月二日、亡つきの準確定申告書(亡つきの生前の不動産収入に関するもの)が完成し、原告矢島は被告事務所にこれを受け取りに行ったが、このときも被告から取引事例の収集を継続するよう指示を受けた。そして、同年一一月四日、原告矢島は、右準確定申告書を税務署に提出した。

(三) 被告は、本件相続にかかる遺産分割のことで弁護士(本件被告訴訟代理人)に相談した上で、本件相続に関する遺産分割協議書案を作成し、平成四年一二月一四日、原告矢島にこれを渡した。

このとき、本件相続税の申告期限(平成五年一月七日)が近づいていたことや、原告らもできれば平成四年中に申告したいと思っていたことから、申告における本件土地の評価額について打ち合わせをすることになった。

原告矢島は、被告から本件土地の近隣土地の価格を尋ねられたので、路線価の七割程度に下落していると答えたものの、近隣土地の取引事例が一件しか集らなかったので、本件土地の評価額を決定するについては鑑定評価した方が良いのではないかと言った。

被告は、申告における本件土地の評価額が時価の七割(原告矢島のいう価格をもとにすれば一平方メートル当たり二八万九一〇〇円)以上であれば、その申告は根拠があるといえるものの、他方で、路線価を下回る評価額での申告は税務署により否認される可能性がかなりの確率であり、仮に否認された場合には、取引事例を集めて申告額の正当性を主張しようと考えていた。しかしながら、被告は、原告矢島が宅地建物取引主任者の資格を持ち、不動産を扱う株式会社藤栄ハウジングにおいて稼働していたこともあったことから、原告矢島を不動産取引の精通者と認識していたので、申告における本件土地の評価額について、税務署との間で問題が生じることを具体的には説明せず、また、鑑定評価によるか取引事例によるかは、いずれにしても時価を裏付けるものであると認識していたので、どちらでも構わないと答えた。

右のような話し合いの後、原告矢島は、さらに検討をすべく、本件土地の価格を三種類ほど想定し、これらの場合に納付する相続税がそれぞれいくらになるのか試算するように被告に依頼し、同年一二月一六日、被告から評価額三九万円の場合と五九万円の場合との申告案がファックスで送られてきたのでこれらを検討した。

(四) 以上のような打ち合せ及び検討を経て、最終的には、評価額を三九万円とすることになり、平成四年一二月二六日、被告は、本件申告書(上申書添付のもの)と延納届出書、相続税納付書を作成して原告矢島に渡し、同年一二月二八日、原告矢島は本件申告書等を税務署に提出した。

そして、本件申告書に添付された右上申書は、被告としては、当時の正確な時価はわからないが路線価を下回っている可能性が高いので原告らの申告額である三九万円を支持すべきものと思料されることを税務署に伝える趣旨で作成されたものである。

同年一二月三〇日、原告らは、本件相続税延納のため、一部納税をした。

3  (本件申告後の経緯)(甲四各号、甲五、甲七)

(一) 被告は、原告らから報酬の支払を受けた時(平成五年一月ころ)も、原告矢島に対し取引事例の収集継続を指示した。

(二) 平成五年五月ころ及び平成六年一月二八日に、税務署より、前記1(二)の平成三年の土地贈与に関して贈与税の修正申告をするようにとの連絡があり、これについては被告に依頼済みであったことから原告矢島は被告に連絡をしておいた。

二  (本件契約に基づく被告の債務及びその不履行の有無について)

1 前記第二の一2(一)で認定したとおり、本件契約は、本件相続により発生した相続税の申告のために、相続税申告に関する事務処理一切を依頼するというものであるが、右事務処理とは、本件相続税についての税務代理(税理士法二条一項一号)及び税務書類の作成(同条項二号)並びにこれらに付随する税務相談(同条項三号)をその内容とするものであり、本件契約の法的性質は、委任契約あるいはこれに類似する契約であるということができるから、受任者である被告は、委任者である原告らから依頼された事務処理の一切を善良な管理者としての注意をもって遂行し処理していく義務(善管注意義務)を負っていたことになる(民法六四四条参照)。

そして、税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそって、納税義務者の信頼に応え、租税に関する法令に規定された納税義務の実現を図ることを使命とするとされているのであるから(税理士法一条参照)、右に述べた受任者としての被告の善管注意義務は、税務に関する専門家を標準とする高度の注意義務であるといわなければならない。

したがって、被告は、右事務の処理に当たっては、事務処理の方法、事務の範囲などについて依頼者の指示があればそれに従い、依頼者の指示がなければ自己の裁量によって依頼の趣旨に沿うように右事務を処理することはいうまでもないが、さらに依頼者の指示が適切でないことが分かった場合には、依頼者に不適切な点を指摘するなどして、依頼の趣旨に従って依頼者の信頼に応えるようにしなければならず、これに違反するときは債務の本旨に従った履行(民法四一五条)がなされなかったことになり、債務不履行責任を免れないというべきである。

2(一) 前記(第二の一)争いのない事実及び右一で認定した事実によれば、被告は、不動産鑑定士による鑑定評価などを行わないで本件土地を三九万円と評価し、これに右申告評価額を支持する旨の被告名義の上申書を添付して本件申告をしているが、本件申告における評価額(三九万円)は、本件相続が開始した平成四年度の本件土地の正面路線価(五九万円)を二〇万円ほど下回り、また翌平成五年度の正面路線価(四一万円)をも下回るものであり、さらに、本件申告後に作成された不動産鑑定評価書(甲六)によれば、本件相続が開始した時点での鑑定評価額を五万円前後下回るものであったこと、相続により取得した財産の価額は当該財産の取得時における時価によるものとされており(相続税法二二条)、相続税財産評価に関する通達の一つである財産評価基本通達(甲一三)によれば、時価とは、相続により財産を取得した日において、それぞれの財産の現況に応じ、不特定多数の当事者間で自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価額をいい、その価額は、財産基本通達の定めによって評価した価額によるとされ、市街地的形態を形成する地域にある宅地の評価は、原則として路線価方式によるものとされ、従来の課税実務もこれに沿ってなされてきたこと、証拠(乙六)によれば、平成四年四月になされた国税庁からの事務連絡によって、時価が路線価を下回るおそれがある場合、路線価を下回る価格での申告については、当該土地周辺の地価動向の把握や、当該土地の売買価格の適正さの確認、精通者(不動産鑑定士等)への意見聴取をした上で、その申告額が「時価」として適切かどうかを判断するという課税実務の処理もなされていること、などの事情に加え、被告としても、申告において評価額を三九万円とすれば、税務署との間で評価額について問題が生じ、申告の否認の可能性もあると認識していたものの、原告矢島を不動産取引に詳しい者であると考えていたので、否認される可能性について具体的に説明しなかったこと、原告矢島から鑑定評価によることを相談されたが、これを積極的にすすめることはしなかったことなどの事情がうかがわれ、これらよりすれば、被告は、税務の専門家として、税務関係の法規及び実務について正確な知識と理解を持ち、これを前提として依頼された事務を適正に処理して行く義務を怠り、前記善管注意義務に違反したといえる。

(二) 確かに、被告は、時価が路線価を上回る場合は、時価にもっとも近い公示価格の七割が路線価とされて相続税の評価基準価額となっていたことから、納税者が立証できる時価が路線価を下回る場合には、時価の七割を評価基準額とするのが正しい課税方法であるとの知識のもとに、本件土地の時価は路線価の七割程度に下落しているとの原告矢島の話を基礎にして、本件申告書を作成していること、原告矢島が平成二年と平成三年において、亡つきから受けた贈与について贈与税をそれぞれ自分で申告していること(乙三、乙四、乙七、乙八)などの事情が認められ、他方最終的に申告における評価額を三九万円と決定したのは、被告と原告矢島との打ち合せによるものであって、被告の専断に基づくものであるとは認められない。

しかし、被告が税務に関する専門家であるのに対し、原告矢島は土地取引に関してはともかく税務に関しては何らの資格も有しておらずいわば素人であるという両者の基本的立場の違いからすれば、依頼者である原告矢島が、本件申告における評価額の決定に関与し、その結果、打ち合せた評価額に積極的な異議を唱えず、あるいは、過去に自分で贈与税の申告をしたことがあったとしても、そのことから直ちに、被告の義務違反が否定されるわけではない。また、本件契約において、税務署から否認されることを覚悟してとにかく低い価格で申告することを原告矢島と被告との間で合意したことを認めるに足りる証拠はない。

そして、専門的知識と経験を有している被告は、原告矢島が適切でない提案をしてきたときにはその修正を求めるべきことは前述のとおりであるが、そのような見地からすれば、本件土地の時価を納税者が立証できればその時価の七割の価格で評価した申告が認められるというのが被告の考えであることを明確に説明した上で、時価の立証が十分かどうか慎重に検討し、その立証が足りない場合には本件申告が否認される可能性があるということを原告矢島に具体的に説明することが必要であったといえるから、被告がこれをしなかった点については前記善管注意義務違反があるといえる。

(三)  また、証拠(原告矢島本人、被告本人、甲一七、乙五)によれば、本件返戻金については、被告がその保険を積立型のものか掛け捨て型のものか十分調査しないまま、掛け捨て型のものであると判断したうえで本件申告をしたことが認められ、これは前記善管注意義務に違反したものといえる。

(四)  他方、右(三)に掲げた証拠によれば、本件定期預金の名義書換については、被告は、原告矢島からその存在について十分な説明を受けていないことが認められるのであるから、これについて、本件申告において申告漏れがあったとしても、やむを得ないというべきであって、前記善管注意義務に違反したとはいえない。

3  右債務不履行による損害について

(一) 以上を前提にして検討するに、原告らは、当初は本件土地について鑑定した時価による申告も考えており(前記一2(三))、また、被告から問い合わせを受ければ本件返戻金が積立型の火災保険に関して生じたものであることを被告に告げたとみられるから、本件申告において、本件土地及び本件返戻金に関する被告の右2の善管注意義務違反がなかったとすれば、原告らは、本件相続税の附帯税のうち本件土地及び本件返戻金に関する部分についてはその支払を免れることができたはずであるといえる。したがって、原告らが既に税務署に対して追加納付した附帯税の合計金三六五万四〇〇〇円(原告矢島分金二〇四万一一〇〇円、原告かね分金三四万七七〇〇円、原告北澤分金九一万七五〇〇円、原告弘子分金三四万七七〇〇円)のうち、本件土地及び本件返戻金に関して納付することになった部分が、原告らの被った各損害となる。

そして、右各損害の具体的額については、附帯税である過少申告加算税及び延滞税の算出方法を定めた関係法規によれば、その額は、いずれも、修正申告による本件相続税本税の増額分(いわゆる増差本税)にほぼ比例し、また、本件においては、相続税本税の算出方法を定めた関係法規によれば、第一次修正申告による増差本税の額は、第一次修正申告における申告課税価格の増加額にほぼ比例するところ、本件申告における申告課税価格が二億一〇六二万四〇〇〇円(一〇〇〇円未満切捨て後)であり、本件返戻金が六七万九八四〇円であり、本件定期預金が一〇〇万一一二三円であることから、第一次及び第二次修正申告による増差本税のうち本件土地及び本件返戻金に関するものの割合は九八%を下回らないことが認められる。

これらに基づき、前記追加納付した附帯税額に対し、右本件土地及び本件返戻金に関する右割合を乗じて、右各損害額を計算すると、原告矢島が二〇〇万〇二七八円、同かねが三四万〇七四六円、同北澤が八九万九一五〇円、同弘子が三四万〇七四六円となる。

(二) なお、原告らは、被告の債務不履行によって、税務署による否認の時点から本件相続税確定の時点に至るまで日夜不安な日々を送らざるを得なかったと主張して、この精神的苦痛に対する慰謝料として各自二〇万円ずつの損害賠償を請求するけれども、本件全証拠によっても、慰謝料の支払をもって償うべきような原因事実を認めることはできないから、この点に関する原告らの請求は理由がない。

(三) また、原告らは、右(一)(二)の損害の他に、各自、弁護士費用相当額を損害賠償として請求しているが、本件事案の内容、審理の経緯等に鑑みれば、これらは、被告の債務不履行と相当な因果関係にある損害とは認められない。

三  解除に基づく既払報酬の返還について

原告らは、本件契約中、税務代理に関する部分については、債務不履行を理由に解除したのであるから、原状回復請求として既に支払った報酬のうち右税務代理に関する部分の返還を請求することができる旨主張する。

しかしながら、そもそも本件契約が一部解除することができるような可分な契約であるとはいえないし、仮に可分な契約であるとしても、本件契約は、委任契約あるいはそれに類似の契約と見られるところ、当事者間に特段の合意がない場合は、民法六五二条の準用する同法六二〇条の規定により、債務不履行に基づく契約解除についてはその効果は将来に向かってのみ生じるものであって、既に履行された部分について解除の遡及効を認めて原状を回復することを求めることはできないというべきであるところ、本件契約締結に際して、原告ら及び被告との間において、債務不履行に基づく解除の場合に、既払の報酬を返還する旨の合意がなされていたことを認めるに足りる証拠はないこと、また、実質的にも、解除の遡及効を認めれば法律関係が複雑になってしまうことなどから、この点に関する原告らの主張は失当であって採用できない。

四  修正申告に関する報酬請求権の有無について

1(一)  被告は、相続財産について一部申告漏れがあったため修正申告書を作成したこと、本件申告における本件土地の評価額が低かったために税務署から否認されたため再度修正申告書を作成したこと、税務調査立会を四日間したことなどから、税務代理と修正申告に関する書類作成の報酬として金三六万円、税務調査立会報酬として金二四万円を原告らに対して請求している。

(二)  確かに、証拠(乙一)によれば、修正申告についても税務代理あるいは書類作成に関し税理士会の報酬規定が存在し、税務調査についても報酬規定が存在することが認められるのであるから、修正申告に関する事務処理について、当事者間でこれを依頼する契約を結べば、相応の報酬を依頼者に対して請求できることはいうまでもない。

しかしながら、本件において被告が修正申告に関する事務処理を遂行することになった経緯について鑑みると、前記二2に認定したとおり、本件返戻金については、被告がその保険を積立型のものか掛捨て型のものなのか十分調査しないまま、掛捨て型のものであると判断して本件申告をしたことによって修正申告せざるを得なくなったものであること、本件土地に関する修正申告については、本件土地の評価額を一平方メートル当たり三九万円で申告したことによって修正申告せざるを得なくなったものであること、という事情が存在するのであり、いずれも被告の債務不履行に起因するものというべきであり、被告の債務不履行がなければ、そもそも申告する必要のなかった修正申告であるということができる。

そして、このような依頼を受けた者のミスによってさらにせざるを得なくなった修正申告手続については、本件契約の締結時においては、原告ら及び被告の具体的な取り決めがあったとは認められないが、契約締結時の当事者の合理的な意思を考えると、少なくとも、依頼を受けた者において依頼の趣旨に反するような債務不履行があって、それに起因してさらに事務処理を遂行する必要が生じた場合には、債務の行において不完全履行があった場合に完全な履行を相手方に請求できるという民法の一般原則に即して、依頼者は、別個に追加事務に関する契約を締結することなく、本来の契約に基づいて、依頼した事務処理の完全な履行の請求の一環として追加事務処理の履行を当然に請求できるものと解すべきである。

したがって、右追加事務処理の履行については、本来の依頼契約に包摂された債務の履行ということになるから、これについて、当事者間で特に合意がなされない限り、依頼を受けた者は、依頼者に対して追加事務処理分の報酬を本来の報酬と別個に請求することはできないというべきである。

(三)  また、被告は、原告らの主張する普通預金からの引き出しはその金員を諸費用の支払いにあてたということで税務署から問題とされておらず、本件定期預金の名義書換について申告漏れが指摘されたものであり、この件については原告矢島から説明がなかったのであるから、被告に落ち度はない旨主張し、前記二2(三)に認定したとおり、原告矢島が定期預金の名義書換を被告に知らせなかったという事情があるけれども、①弁論の全趣旨によれば、本件定期預金に関する修正申告及び本件返戻金に関する修正申告は、いずれも一括して一通の修正申告書によってなされているものと推認できるところ、本件定期預金に関する部分の修正申告書作成行為は、右(二)において本来の依頼契約に包摂された債務の履行として当然被告において履行しなければならない追加事務処理の一つであると判断した本件返戻金に関する部分の修正申告書作成行為と一体のものとしてなされたものであるというべきであること、また、②乙一によれば、税理士会の報酬規定において、遺産の総額が三億円以上五億円未満の場合には、報酬額が同一とされていることが認められるところ、本件定期預金及び本件返戻金の合計額が一六八万〇九六三円である(甲七)から、これらが本件相続の対象となった遺産に含まれるか否かにかかわらず、いずれにしても修正申告後の遺産の総額は、三億円以上五億円未満となること、などの事情からすれば、本件定期預金に関する部分の修正申告書作成行為のみを取り上げて、これに対する報酬を本来の報酬と別個に請求することはできないというべきである。

2  ところで、本件契約に基づく報酬については、本件契約締結当時においてはその具体的な額について明確な合意がなされたことを認めることはできないが、証拠(甲四、五)によれば、被告が原告らに対して請求した額を原告らが支払っていることが認められ、その後、修正申告の報酬請求がなされるまでの間に、原告らと被告との間において本件申告に対する報酬に関し争いが生じたことを認めることはできないから、遅くとも右報酬の支払の日までには、税務代理に関しては八〇万円、税務書類作成に関しては四〇万円の報酬を支払うこと、そして、この報酬は、被告がなした全ての税務代理及び税務書類作成に対する報酬であることを原告らと被告との間で合意していたものと認めるのが相当である。

3  以上から、被告の修正申告に関する事務処理遂行に対する報酬の請求は理由がなく、認められない。

第四  結論

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求については、被告に対し、原告矢島二三雄が二〇〇万〇二七八円、原告倉持かねが三四万〇七四六円、原告北澤ひて子が八九万九一五〇円、原告倉持弘子が三四万〇七四六円の各支払とその各遅延損害金(訴状送達による請求日の翌日起算、民法所定年五分の割合によるもの)を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、被告の反訴請求については、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、本訴については、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条、仮執行宣言について同法一九六条一項の各規定を、反訴については、訴訟費用の負担について同法八九条の規定をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川島貴志郎 裁判官千德輝夫 裁判官三島琢)

別紙物件目録〈省略〉

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